勉強のモチベーション

miyu投稿 2024/2/14 04:41

高2 理系 東京都

東京大学農学部志望

勉強や他の自己鍛錬は性欲、つまり遺伝子を未来に残すことですか?
同じようなことを受験生時代に考えた人は、この不安の意味を教えてほしいです。悩んでいます。

回答

reo投稿 2024/2/14 07:24

東北大学文学部

勉強お疲れ様です。
勉強のモチベーションで悩むのは受験生にとっては当然ですので、あまり気負わずにしないでほしいところです。

私もまだ大学3年生ですが、大学受験を人生で一番頑張ったと言い切れるくらいには全力を尽くしましたし、他にも色々な経験をしてきていると思いますので、答えさせていただきます。
(以下、私の実体験を含み、全て私個人の考えです。)

自己鍛錬と聞いて思い浮かぶのは、勉強・運動(部活動)・仕事・その他慣れていない環境に身を置くこと、などといったことでしょうか。

自己鍛錬とは
・やらなくていい事
・やらなくてはいけない事(生きる上で避けられない事)
の2つに分けられるかと思います。しかし、勉強だけはその2つの間に属する特殊なものかなと思います。

【やらなくてもいい事】
・部活動や運動

辛く無意味である運動を経験することによって、それを乗り越えるという達成感を得るだけでなく、友人などとその経験を共有することでその後の人生を物質的(直接会うことで得られる豊かさ)と内面的(友人の支えによってメンタルが安定する)の二面的に豊かにしてくれる存在にさせてくれるものだと思います。
また、頭を使って考えて運動をすることによって効率的に結果を出すことができ、その点では仕事や人生という大きな視点でも豊かな考え方を生み出してくれます。
しかし、生きていく上で部活動や運動の経験は必要ありません。これは納得して頂けるかと思います。

・自らを慣れない環境や自己鍛錬を目的とする環境に身を置くこと

部活や運動もこの一つに位置付けされるかもしれません。その他、留学や課外活動、強いては地元を離れて一人暮らしをすること(=大学生活)なども当てはまります。
これらも、生きていく上で必須であるわけではありません。しかし、人生を豊かにしてくれるものであることは間違いありません。

【やらなくてはいけない事】
・仕事

今日、生きたいと思う全ての人間が避けられないタスクになっています。アルバイトも同じです。買いたい物、やりたいこと、全てを成し遂げる場合に仕事というものは必須であり、仕事を行う中では、勉強や部活などの過去の自己鍛錬で得た経験が往々にして生きてくる場合があります。

やらなくていい事に属するものは、現代、自分を特徴付けるもの・他人と差別化を図るものとして位置付けられています。所謂、アイデンティティ・個性といったところでしょうか。

部活動に全力を捧げる高校生
アルバイトを中心とした生活を送る高校生
推し活や恋愛、SNSに心酔する高校生
受験勉強や資格試験に全力を注ぐ高校生
これらを全て無難にこなしてしまう高校生
全てをなんとなく行う高校生

どの分野全力を捧げるか、どの程度全力を尽くすか

これは1人1人異なりますし、これが”個性”なのです。

そして、働かざるを得ない今日、
この”個性”によって、お金をどれだけ稼げるかが変わってきます。就活でも個性が問われるのです。

あなたはどんな人間か?

これを語るときに出てくるのが、【やらなくてもいい事】の経験なのです。その独自性や希少性が嫌でも求められてしまう、かなりシビアな世界になってしまっています。

また、親世代と明らかに変わっている環境として、SNSという存在も挙げられます。

SNSで得られる情報と、SNS上で発信する自分という存在。
人生を豊かにしてくれる一方で、自分という存在をSNSを通して表現するためには、個性が求められています。

SNS無しでも生きていけはします。
しかし、これからの世界では、様々な場面でSNSは切っても切り離せない存在になってしまっています。

【やらなくてもいい事】に当てはまるものは、全て自己満足ではありますが、ゆくゆくは求められてくる存在でもあります。

『遺伝子を残す』というワードも質問者さんから出ていますが、これも結局は自己満足にすぎず、言ってしまえば両親の生活や人生が豊かになるから我々が生まれたわけであって、私たちが今後大学受験を終え、人生のパートナーに出会った時、相手と共に紡ぐ人生を豊かにするために、子どもを産むのではないかと思います。(あくまでも私の意見です)

話が長くなりましたが、勉強の話に移ります。

勉強とは、【やらなくてもいい事】でもなく、【やらなくてはいけない事】でもなく、それは自己満足と言ってしまうと、また少しニュアンスも変わってきます。

勉強は、【やらなくてもいいけどやった方がいい事】というものとして、【万人が共通してそのように考えている事】ではないかと思います。

勉強をやるべきだったと気がつくのは、早ければ中学生の頃には思うかもしれませんし、遅いと30代になってからかもしれません。
しかし、【やらなくてもいいけどやった方がいい事】としていつかは考え、遅いと後悔に繋がります。それは、過去も今も共通しているのです。

その意味で、勉強をするべき時期に、求められていたレベル以上に全力を注げることが出来た人は、

例えば仕事に就くときにメリットを得られ、
簡単に個性と自信が身につき、
高い志を持つ仲間が数多いる貴重な環境に身を置くことができるという、素晴らしいリターンが返ってきます。

勉強とは
やらなくてもいい事ではないですし、やらなければいけないことでもありません。
しかし、やらなければいけない事(=仕事)に直接的にメリットを与えられる唯一無二的な存在であり、刻々と変わる現代の環境や価値観の中でも、変動しにくい指標として君臨し続けるものではないかと思います。

まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。
簡単に言えば、勉強をすれば、志望校という目標が達成できたか否かに関わらず、あなたの人生には間違いなくプラスになるという事です。

勉強という自己鍛錬自体が人生に生きるのではなく、そこから何を学び、何を経験し、勉強した結果として何を得られるかが人生を面白くすることに繋がるのではないかと思っています。

○○をやってきて・続けてきて・努力してきて良かった!

と考えられるようになるのは、それが終わってからさらに何年も経ってからです。
もっと言えば、○○がその後の人生にプラスな影響を与えたときに初めて、その達成感と幸福を得られるものです。

確かに自己鍛錬ではありますが、
その他の自己鍛錬とは少し特徴が異なるという点だけでも理解して頂けたらなと思います。

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