努力自慢が聞きたいです

エフォーター投稿 2019/6/25 20:57

高3 文系 沖縄県

首都大学東京志望

人の努力や頑張りに共感して「自分も頑張ろう」ってなれるタイプなので 色んな努力自慢話を聞かせて欲しいです!

回答

こうしん投稿 2019/6/26 03:43

京都大学理学部

こんばんは!
こうしんと申します!

自分は結構努力しましたよ〜
まあ、主観的な話ですがね笑

僕は高校二年生の冬ごろに部活にひと段落をつけて、京大を目指し始めたんですが、かなり成績悪かったんですよね。特に英語が酷くて、当時英語の成績はセンター120点くらいだったんじゃないでしょうか。
だから冬休み英語ばっかしてました笑
その頃に、英語のディスコースマーカーという概念を知りましたし、あらゆる技能を一から学び直しました。
そしてセンター過去問演習、結果はボロボロですね。650点くらいじゃないでしょうか。とてもじゃないですけど京大狙えるような点数じゃないです。

そこからは、vs教師、親、との精神的な戦いと、勉強の日々です。
精神的な戦いは言うまでもありませんが、非常に辛い日々でしたね…よくあの環境で勉強できたな…って思います。思えばあの頃愚痴を聞いてくれる優しい友人がいたから耐えられたのでしょう。今じゃその子は彼女です。感謝しかないです。

勉強は自己分析+演習+補完の日々です。当時は勉強方法なんて確立してないですから自己分析→勉強法の模索→勉強→模索→…→自己分析っていうループを繰り返していました。なかなか成績は上がらないし、そこを責められるし、相当な努力をしてきたという自負はありますね〜。

そして高校三年生夏。駿台模試で京大初のB判定を取れました。めちゃくちゃ嬉しかったですね。僕が模索してきた勉強法や努力は無駄じゃなかったんだ!って証明された気分でした。センターは不得意でしたが…
そこからは、過去問を導入して勉強しました。

と、ここで事件が起きます。高校三年生冬の時期です。体育の時間で骨折し入院、手術まで行うという大事件です。当然勉強は満足にできません。友達にも会えません。めちゃくちゃ疲弊しましたね…
とうとう学校に復帰したのは、センター試験一週間前でした。
そのままセンター試験に突入。結局700手前の点数で全く取れなかったです。ですが、二次試験での想定点数高かったので京大受けることに。
そして京大受験。車椅子での参戦でした。

結果は不合格、浪人を決意します。

浪人はある程度の実力があったので、スムーズに始まりました。全て基礎から見直し、自身の立てた勉強法も駿台の先生との相談の元、今質問に答えているような形で再作成しました。
ここで大変だったのが、駿台の先生は入試研究の「結果」しか教えてくれなかったことです。それを再度「まとめる」「一般化する」という作業が必要になりました。
めちゃくちゃ時間かかりましたし、めちゃくちゃ考えました。しかし、その分の努力は実りました。まとめた結果を、駿台の先生に見せに行ったり、得意な友人にみてもらうことで、自分の勉強法やまとめが信頼できるものだと分かりました。
だからこそ、今の勉強法を自信持って紹介できるんですね。

そうこうしているうち、センター試験。結果は振るわず、危ない点数となりました。具体的に言えば、700点付近。去年からあまり成長してない!?と思った時には愕然としましたね…

ここから逆転劇の始まりです。
人生で一番努力したんじゃないかってくらい努力しました。予備校の問題を全て見返し、一般的に成立する「解き方」を各教科でまとめました。
その際に参考にした問題数は、各教科ゆうに千を超えます。
過去問も10年分を繰り返し研究し、解き直しました。この時、上記のまとめが凄く生きましたね〜。これが無ければ、勉強はもっと時間かかってたでしょう。

そして想定点数を設定。自信満々に京大入試へ。

結果は合格でした。全体としては7割は取れていたので、自分の勉強法、努力が見事に正当化された瞬間でもありました。

まあ、努力自慢話、というよりかは僕の受験人生話になってしまいましたが、一つの希有な体験と思って聞いてくださいね!

僕みたいに受験直前に骨折しないでくださいね!頑張ってください!

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