自分を変えたい

さち投稿

高2 文系 新潟県

神戸大学国際人間科学部志望

公立の中高一貫校に通っている、高2です。
私はずっと前から意志の弱い自分を変えたいと思っていて、いろんな本を読んだり、ネットで調べたり、先輩や先生に相談したりしていました。
ですが、そこまでなんです。どうしても行動に移せません。よく、行動に移すためには最初はハードルを下げてと言われていると思うのですが、試しにやってみたのもあります。具体的には、「やる気が出ない時はとりあえず3分でもいいから問題集を開いてペンを動かせ」とか、「朝、二度寝しないためには2つの目覚まし時計を用意して、1つは自分の耳元に、もう1つは自分の手が届かない所に」とか、「計画倒れしないために、立てる時はある程度余裕をもたせたり、調整日をつくったりする」とか…この他にもいろいろ試してみたたものもあります。
ですが、どれも三日坊主です。三日坊主どころか、一回坊主ばかりです。一回坊主どころか、試してみただけいい方だと思います。自分を変えるために、いろんな話を読んだり聞いたりしたところでなんにも行動に移せていないのが現状です。
私が行動に移せないのは、自分の意志の弱さが原因だと思っています。もしかしたら、他にも原因があるのかもしれませんが。
そんな意志の弱い自分が、私は嫌で仕方がありません。悲しいです。苦しいです。悔しいです。つらいです。
その苦しさなどから逃れるように、私は大好きな音楽を聴きます。大好きなピアノを弾きます。大切な後輩がいる部活(吹奏楽部)にのめりこみます。
勉強もピアノも部活も、今の私にとって全て必要なことなので、けじめをつけて、それぞれに集中して、時間を決めて、効率良くやれればいいんだと思います。どれも、どうしても中途半端にしたくないんです。傍から見たら、欲張りに見えると思います。それは十分承知しています。欲張りなほど、私は幸せ者だと思うんです。
世の中には、勉強したくてもできない人がいる。
世の中には、ピアノを弾きたくても弾けない人がいる。
世の中には、部活をしたくてもできない人がいる。
だから、3つも頑張りたいなんていう私は本当に幸せ者です。欲張りですが、諦めたくありません。
でも、でも……幸せ者とわかっていながら私は行動に移せない、継続する力もない、心の弱い人間です。だから、これからどんどん本格的に受験勉強を始めていくにあたって不安で仕方がないです。
だらだらとした長文になってしまい、すみません。相談内容を以下にまとめます。
①自分を変えたい。
どういうふうになのか→行動に移せるようになりたい。また、その行動に移したことが継続できるようになりたい。
②勉強に力を注ぎたい。
どういうふうになのか→現状が、1.学校の課題が終わらない 2.予習·復習ができてない 3.授業に集中できてない の3つが主で、どれも原因はピアノか部活についての考え事をしてしまうということなので、忙しいからこそけじめをつけて効率良くやりたい。

どんな言葉でも私は受け止めます。

回答

ひこにー投稿 2017/11/2 00:47

東京大学理科一類

なるほど、かなり苦しんでいるようですね。
ちょっとしたことですが、僕も、中高一貫出身の、ピアノを10年ほど続け中高の6年を吹奏楽部に使った人間なので、話が合いそうです笑

さて、いろんな本を読まれて勉強なさったそうですが、アドラーは読みましたか?これから書くことは、全てアドラーの心理学に基づくものなので、気になったら、日本で一番読まれたアドラー心理学に関する書籍「嫌われる勇気」をぜひご一読ください。さちさんの抱えている問題について、ここで全て解決するのはあまりにも多くの字数を要しますのでおそらくできませんから。

では、ざっくり説明していきます。

自分を変えられない時に考えるべきことは、「なぜ変われないか」というよりは、「ねぜ変わろうとしないのか」、つまり、自分自身が、実のところ本気で変わろうとはしていないことに気づくことから始めます。こういった、行動を現在自分が持つ目的から分析する考え方を、「目的論」と言います。まずは、目的論的思考を身につけませんと、人は一歩も前に進めません。

さちさんは自分のことを、意志が弱いと言いました。こういった性格や気質は、変えるのが難しいと考えられがちです。アドラー心理学において、こういった性格や気質のことを「ライフスタイル」と説明します。これは、人生のあり方とも言えるもので、過去の経験や育った環境により形成されるものではなく、そういった要因も踏まえつつではあるものの、確実にその人自身が「自らの意思で選び取ったもの」です。
さちさんのいう「変われない自分」というライフスタイルは、さちさん自身が自らの手で選び取ったものなのです。
そして、人は、「変われない」のではなく、常に「変わらない」という決断をし続けているのです。なぜなら、色々不満はあっても、「現状の自分」のままでいる方が楽ですから。変わるのには勇気がいります。さちさんには、その勇気が少し足りないだけだと見るべきでしょう。

また、さちさんはご自分のことが嫌いで仕方ないようですが、僕の意見では、それは周りに心配をしてもらったり、慰めてもらうことによって周りを支配しようとしているからです。自らの意思が弱いという「弱さ」を武器にすることによって。原理的には、赤ん坊と同じです。大人たちを支配するが、支配されることのないという性質を持つ赤ん坊は、おそらくこの世界で最も弱く、支配的な存在です。

本題に入ります。僕は、さちさんは「変わる」という状態に到達することを目標にしていません。「変わろうとする」ことで満足しようとしています。まずはそれを受け入れて欲しいです。
そして、受け入れた自分に何が足りないかを考えます。ここでの「足りている」というのは、他者に貢献できる状態にあるということです。つまり、「他者に貢献するために自分がこれから獲得するべきものは何か」ということを考えます。なぜ他者が出てくるかというと、人間は他者に貢献することで、自分の価値を確認でき、充実を感じられるからです。ちなみに、ここで他者からの自分への評価を気にしてはいけません。あくまで、相手を信頼し、貢献することだけです。
あとは、続けるとか続けないとか、マジでどうでもいい。今、ここでやるかやらないかを選択し続ければいい。今、さちさんが「充実している」と感じる行動をとればいい。それが幸せになるってことです。

以上が言いたいことをまとめたものです。論理関係も曖昧でわかりにくいので、もし興味があれば「嫌われる勇気」を読んでください。

勉強に力を注ぎたいというのも、同じ考え方です。ピアノ、部活を原因に後付けしてやらない理由を作っているだけで、勉強しないままでも良いと実際は思っています。別に勉強なんてしなくても死にませんし、逮捕されるわけでもないので、やりたくなければやらなくともいいですよ。これは煽りとかではなく、本心です。ただ、ピアノを通して周りの人を幸せな気持ちにさせたい、そのためには東京藝術大学に行ってピアノをより高めたい、そのために勉強して入学するんだ、とかなら勉強すればいいってだけです。おそらく今のままでは、たとえピアノと部活のことを考えなくなったとしても、また新たな理由を作り出して勉強しようとしないでしょう。なので、自分がどうすれば他者に貢献できるかを考えましょう。

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