数学の解法抜け

あんじ投稿 2023/8/31 03:11

浪人 文系 東京都

一橋大学法学部志望

数学について質問です。基礎問を3周して解放暗記をしたはずなのですが、模試などを解く時忘れていることがあります。理解した上での暗記だったはずなのに、かなり忘れててショックでした。触れる時間が空いてしまったIIBはその傾向が如実に出ました。やり方を変えるべきですか?それとも定期的に触れるべきですか?ですが、なぜ数学できる、いわゆる数強と呼ばれる人は、ある程度時間が空いても数学が問題なくできるのでしょうか。もともと数学は苦手でしたが、浪人すると言うことで、そのコンプレックスを解消したいという思いで数学の勉強を始めました。ですがこんな状態のせいで、親から第一志望を下げるようサジェストされました。二浪はできないので危ない橋は渡れませんが、かと言って諦めたくありません。数学できる方、アドバイス等お願いします。

回答

たけなわ投稿 2023/9/1 04:57

北海道大学法学部

以下、私の理解が浅薄で誤っている場合は申し訳ございません。「ふーん」程度で読んでいただければ幸いです。

⑴ 記憶について
 人間の記憶にはいくつかの種類があるようです。「記憶の対象である知識が言葉によって表現できるか否か」という性質で区別するならば、「言語的な知識の記憶」と「非言語的な知識の記憶」とに分かれるでしょう。
 前者は専ら「意味記憶」と言われます。簡単には、「○○は☆☆である」のような一般的な知識の獲得・保持です。意味記憶の対象となる、言葉によって表現し獲得できる知識を「命題的知識」(略して「命題知」)といいます。
 これに対し、後者は大きく二つに分かれます。一つは、五官によって得た感覚の記憶です。その対象(すなわち、五感)を仮に「感覚知」と呼びましょう。匂いや音、触った感触などは、多くは「○○の(ような)匂い」と比喩を用いて表されるか、「鈍い音」「滑らかな肌触り」などと大まかな特徴を捉えて表されます。このように感覚知は、他の存在を借りるか、あるいは程度に幅をもたせることによってしか表現できないことが多く、直接にそれ自体を言葉によって完全に再現することは極めて困難です。その意味では、非言語的な知識に分類されると考えて差し支えないでしょう。
 いま一つは、一般に「体が覚えている」といわれるものです。このような記憶を、「手続記憶」といいます。手続記憶の対象となるのは「技能知」と呼ばれます。つまり、「やり方を知っている」ということです。この名から察する通り、手続記憶は、技能の習得にかかる記憶です。卑近な例を挙げると、久しく乗っていない自転車も、いざ乗ってみれば、前のように問題なく運転できたとか、小さい頃に辞めたピアノも、今弾いてみると、案外弾き方を覚えているとかいった経験は、誰しも心当たりがあると思います。このような身体による(身体の活動も源流を辿れば必ず脳を介するので、このような表現は語弊を招くかもしれませんが)記憶が手続記憶です。手続記憶は、練習によって獲得するほかありません。
 なお、命題知と技能知は相互排他的な関係にはなく、同一の経験によって両方を得ることも考えられます。自転車の例で見ても、実際に自分の足でペダルを漕ぎ、前進する感覚を得るのは技能知ですが、これにより得る「ペダルを漕げば自転車が前に進む」という一般化された知識は命題知です。

⑵ 記憶の観点からみる数学
 このような記憶の観点から見たとき、数学における公式・定理や解法の知識は、それ自体として命題知であると言えるでしょう。それに対して、これらの知識を他の問題に実際に応用することは、技能知の獲得に係る行為だと言えます。つまり、ご相談の内容に照らして簡単に換言すれば、解法暗記は意味記憶であるのに対し、それを用いて模試などで問題を解けるようになることは手続記憶であると言えましょう。実際、問題を解くときに頭の中で行われているプロセスを言語化しろと言われても難しいですね。
 そうすると、手続記憶である以上、定期的な練習が不可欠です。なぜなら、技能知は非言語的な知識だからです。言葉によって得られない知識は、夥しいほどの練習によって身に染み込ませるほかありません。一問・一解法の単射的な意味記憶だけでは不十分だと思います。基礎問で得た解法を応用するには、基礎問にない、しかし同じ解法によって解かなければならない問題を解くことが必要です。応用とは本来そういうものです。所謂類題を解く意義はここにあると私は思います。
 しかし、逆に言えば、手続記憶である以上、体がそのプロセスを覚えてしまえば、ある程度間隔が開いても対応できるようになります。それは、先の自転車やピアノの例の如くです。数強と言われる人たちは、このような知識の身体化に成功した者たちのことを言うのではないでしょうか。つまり、初見の問題にさえ条件反射的に解放を導き出せる(基礎問でいえば、初見の問題と基礎問の問題との共通点や相違点を瞬時に見出し、使える解法を直ちに検索できる)ほど、演習量をこなしてきた者たち、問題へのアプローチの仕方が骨身に染みている者たちです。

⑶ まとめ
 私自身も何を言っているのかわからなくなってきましたが、まとめると、①理解したうえでの解法暗記も、未だ意味記憶にとどまっている以上、その理解を他に応用する練習が別途不可欠であること、②その練習による手続記憶の獲得は一朝一夕にはできないこと、③そのためには練習を定期的に数多く踏むことが重要であることの3点がお伝えしたかったことです。まぁ一言で言えば、とにかく量(解いた回数だけでなく、解いた問題の幅広さも)をこなすことが何よりの前提であるということです。基礎問3周で解法の基礎的なインプットは十分済んでいると思うので、これからはとにかくアウトプットとして色んな問題に触れていくことが大事だと思います。

⑷ 私がやった問題集
 以下に、私が使った問題集を挙げておきます。授業の予習や課題として、教科書・4STEP・New Action Legend、それから高2の後半くらいからは授業も総演習になり、それ用に買わされたのが『ニューグローバルマーチ 数学Ⅰ+A+Ⅱ+B』(東京書籍)と『実戦 数学重要問題集ーー数学Ⅰ・A・Ⅱ・B(文系)』(数研出版)です。これに加え、自習用として購入し、やっていたのが『文系の数学 実戦力向上編』(河合出版)と『数学ⅠAⅡB 上級問題精講』(旺文社)です。これらは高2の冬くらいから買ってやっていました。高3の直前期の授業では、学校の先生が難関代受験者用に作ってくれた問題冊子(100題ありました)が配布されたので、それをやりました。高1・高2では学校の任意の発展課題もやりましたし、高二の時の休み時間では東北大や京大の過去問にも手出ししました。こうして振り返ると結構やってますね、自分でもビックリです。ただ、私のやり方はかなり乱雑というか何というか(あまり精緻に計画立てて進めた記憶がない)だったので、参考にならないかもしれません。ちなみに、上級問題精講は、私がやった数学の問題集の中では一番お気に入りです。

⑸ 余談
 最後に余談ですが、記憶や学習に関することについて興味があれば、鈴木宏昭『私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化』(ちくまプリマー新書・2022年)や、信原幸弘『「覚える」と「わかる」 知の仕組みとその可能性』(ちくまプリマー新書・2022年)など読んでみると面白いかもしれません。どちらも刊行の新しいものである故、今は読んでる暇がないかもしれないので、受験が終わった後にでもぜひ。

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