今の状況から抜け出したい

ama投稿 2023/2/16 07:27

undefined 理系 沖縄県

帯広畜産大学畜産学部志望

共通テストで大失敗をしました。3年間、一応の進学校で学校がある時は5時間、休日は10時間くらいの勉強を自分で言うのもなんですが、頑張って来ました。ですが3年生になり鬱気味になり、成績は伸びず、結局共通テストでは過去最低の457点という点をとってしまいました。獣医学部を目指していたのに、こんな点数では私立だって受かりません。親とも話し合った結果、今年は浪人して来年に向けて頑張るということになりました。でも最近頑張れません。経験ということで、北里大、酪農学園大学、帯広畜産大学を受けることになったのですが、その試験勉強もやる気がどうしてもわかず、気がついたら、1日スマホをいじって終わる日が続いてます。心のどこかでやばいと思っていてもどうしても行動に移せず、どこかで全部諦めてるような気がします。何もする気になれません。全部何かのせいにして、現実逃避しまくって、正直今の自分は超ダサいです。そしてこのままだったら、きっとまた二の舞になるでしょう。希望が見いだせません。どうしたら今の状況から抜け出せますか。厳しくお願いします。

回答

たけなわ投稿 2023/2/16 13:24

北海道大学法学部

①「神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」
 これは、1956年に戦後最年少の43歳でノーベル文学賞を受賞した、アルベール・カミュの作品「シーシュポスの神話」(カミュ著・清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫(2019)所収)の冒頭二文です。
「緊張した身体があらん限りの努力を傾けて、巨大な岩を持ち上げ、ころがし、何百回目も、同じ斜面に繰り返してそれを押し上げようとしている姿・・・(中略)・・・ひきつったその顔、頰を岩に圧しあて、粘土に覆われた巨塊を片方の肩でがっしりと受け止め、片足を楔のように送ってその巨塊をささえ、両の腕を伸ばしてふたたび押しはじめる。・・・(中略)・・・この長い努力のはてに、ついに目的は達せられる。すると、シーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下のほうの世界へところがり落ちてゆくのをじっと見つめる。その下のほうの世界から、ふたたび岩を頂上まで押し上げてこなければならぬのだ。かれはふたたび平原へと降りてゆく。」
② 果たして、シーシュポスは幸福でしょうか、それとも不幸でしょうか。我々受験生は、日々「頑張った努力は本番できっと報われる」と信じて勉強してきました。むろん、私もその例外ではありません。受験勉強に準えるならば、シーシュポスに課された刑罰は、いくら勉強しても不合格が予め確定されている受験勉強生活です。端的には、それすなわち永遠に強いられる浪人苦です。普通の感覚ならば、シーシュポス以上に不幸な人間はないと思うでしょう。蓄積した努力が奏功するという希望を日々の勉強の原動力とする我々受験生にとっては、やっても無駄だとはじめからわかっているということ以上に、我々の精力を削ぐものはないからです。
③ ただ、シーシュポスの場合と受験生の場合とで違うのは、受験勉強は決して「無益で希望のない」ことが約束されたものではないということです。
④ 今のあなたの状況を言うならば、岩が転げ落ちるのを目の当たりにして、山頂ですっかり絶望してしまい、「ふたたび平原へと降りてゆく」ことができない状況です。これに対し、シーシュポスは「ふたたび平原へと降りてゆく」。そこに、数秒立ち止まって躊躇う描写や、再度の苦行に顔をしかめる描写、とうとう嫌になって逃げてしまとつといった描写は一切ありません。彼は、岩が転げ落ちるのを目の当たりにしては、その都度何の躊躇も迷いも嫌悪もなく、ふたたびその「無益で希望のない」苦行へと足を運ぶのです。平原へと降りてゆくとき、彼は果たして何を思い、彼の目には転げ落ちた岩が果たしてどのように写っているのか。無益、絶望。努力は決して実を結ぶことはありません。それは、受験勉強よりもはるかに苦境のはずです。これを前にして、彼は決して臆することなくその現実に立ち向かって行く。今のあなたに欠けている、彼のその強さはいったいどこから来るのでしょうか。
⑤ 3年間頑張ったのに、その努力が身を結ばなかったのは本当に辛いことだと思います。同じ状況なら、私だって「こんな仕打ちはないだろう」と嘆いていたと思います。何もする気になれなくて、全部何かのせいにして現実逃避しまくって、希望が見出せない。むしろこれは、あなたが3年間頑張ったという事実が確かにあるからではないでしょうか。
⑥ 「努力はきっと報われる」と信じてこれを勉強の原動力とする受験生と、「努力が報われるとは限らない」と分かりつつも勉強を続けられる受験生。どちらがより強いとかはありません。どちらも強い、立派な受験生です。しかし、これまで前者だった者が、大きな失敗を経て「努力が報われるとは限らない」ということを身をもって経験した時、そこで折れてしまわずに強い後者になるためには、いったい何が必要なのでしょうか。
⑦ 浪人に必要なのは、偏に忍耐力ではないかと思います。とすれば、現役生から浪人生になる節目の今こそ、『シーシュポスの神話』は読むに値する本だと言えるでしょう。彼の強さはどこから来るのか、今の状況を打破するためにあなたには何が必要なのか、その答えはこの本に書いてあると思います。現代文の読解の鍛錬にもなると思うので、この際読んでみてください(600円程度で買えると思います)。読んでその答えを自分なりに見出してみてください。
⑧ 「厳しくお願いします」とあるので厳しく書くと、今の自分に必要なことが何であるかは、自分で考え、見出しましょう。これは決して誰にも頼るなというわけではありません。むしろ、辛いときは遠慮せずに頼りましょう。ただ、他の誰かからのアドバイスは、自分がこれからすることを決めるにあたっての一参考資料にすぎません。あくまで必要なのは、それをもとに、さらに自分で自分の方向性を考えることです。
⑨ 私はここで、一つの本を紹介し、これをもってあなたが考えるための一材料を提供しました。別に、絶対に従えとは言わないし、これが何の参考にもならなければ他の人に相談しても構いません。ただ、最終的には自分で考え、決めてください。「自分で考える」ということができるかどうかにこそ、現役生よりも忍耐力や自律性が試される浪人生の真価が問われるのではないでしょうか。そして、その真価を発揮できるかどうかは、現役生から浪人生になる節目の今の時期こそ、もっともよく試されるのではないでしょうか。

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